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フリースキーヤーの飯田江里子さん


お母さんの背におぶさる幼い江里子さん


怪我をしたときの破れたウエア
プレイヤー/飯田江里子
ナビゲーター/富田めい

―スキーを始めたきっかけは?

スキー歴は22年。立ち始めてからもうスキー場にたそうですが覚えていません。
お母さんがアルペンスキーヤーで、お父さんがスキー場のパトロールをしていたんですね。
二人はそこで出会ったんです。
スキー一家で、生活の中にスキーがありました。
でも、アルペンスキーが面白くなくなって一時期好きじゃなくなった時期もありました。


―なぜ今の「フリースキー」という形にたどり着いたのですか?

高校のとき横を見たらフリースキーというものがありました。
ある日、学校の先輩が雑誌に大きく載って、かっこよくて!
興味を持ってやってみたら面白くてハマってしまいました。


―ちなみに「フリースキー」って?

その名の通り、「自由」なスキーです。
ストックを持ったり持たなかったり。
階段の手すりに乗っかって滑ったりと色々!
まだ日本ではメジャーではなく、日本に入ってきて10年ほどしか経っていませんが、フリースキー人口はどんどん増加しています。
最近では小さい子や女の子が増えているのでうれしいですね!


―では江里子さんが始めた頃は割と草創の頃ですよね?

自分が始めた頃は割と草創の頃ですね。
急に出てきて日本一になって少し話題になったみたいです。
雑誌にも掲載させて頂いて。
当時はスキーのオシャレとか知らなかったのでダサイ感じで雑誌に載っちゃったので少し恥ずかしい(笑)
書いてある内容も幼稚で恥ずかしいです・・・(笑)


―フリースキーをやっていて、一番苦労した体験を教えてください。

日本一を獲ったあとすぐ、練習中にケガをして1ヶ月間意識不明になりました。
でも自分で110番をしたらしいです。そのときのMRIの写真がこれですね。記念に貰ってきました(笑)
笑っても左だけは無表情。左半身、何も感じない状態。スキー自体ができなくなって、悔しかったですが「早く復帰したい」ただその思いでした。
自分では全く覚えていませんが、意識がない1ヶ月の間、「私はプロスキーヤーだ!」だと言い切っていたらしいです。

 
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